平凡な人生

 平成27年11月13日、劇場やレストランなどで週末を楽しむパリの市民を狙って同時多発テロが起き、おびただしい死傷者がでました。
130人におよぶ死者が出る大惨事ですが、世界に目を向けると中近東やアフリカ等様々な地域で、理不尽にもテロや紛争によって命を絶たれる人々が数多くいます。本人は無論、家族は愛するものを突然奪われるのですから、その悲しみや絶望感は察するものがあります。

 一方、所謂平凡な人生を送り、自分の人生の意味合いや意義に悩まれる方もいます。

 11月25日付け産經新聞のコラム「透明な歳月の光」(曾野綾子氏)の記事に、以下の文章があります。

 (引用)

 「私の生涯は一体なんだったのか、と思います。私は何のいいこともしませんでした」という人に出会ったり、そのような趣旨の文章を読んだりしたことに対する答えである。
 私は何度かそういう人に直接に言ったことがある。
「あなたも私も、今まで幸運もあって、人を殺しませんでしたし、自分も殺さなかった。それだけでも大成功です」

 (中略)

 パリの襲撃に加わった若者たちが、どのような理由でそういう行動に出たか、もちろん複雑な理由はあるのだろうけれど、私に言わせれば、人生すべての失敗はその気になれば償うことができる。
しかし人間の命を意図的に絶ったという行為だけは、償うことができない。
そのことを彼らは知らなかったのかな、という疑問は残る。

 こう考えるとこの世のたいていの人は人生の成功者なのだ。
多くの人が子供を育て、老人のめんどうを見、会社で決められた仕事を正確に勤め上げ、家出は家族のためにご飯を作ったりもしただろう。
それらは、人を殺すどころではなく、人を生かす目的のための行為であった。
とすれば、その人の人生は大成功だったのだ。

 もっと自分の周囲の人の生活を慎みをもって知り、その生涯に尊敬をささげ、あるいはその独自の生き方をいとおしむことができれば、「大成功」の人生はさらに「大大成功」になる。


 何をもって幸せと思うか、は人それぞれです。
「上を見ればキリなし、下をみればキリなし」ともいいますが、「しあわせ」や「成功」は、人の念いをどこに置くかによって大きく異なります。
posted by 翠運勢鑑定所 | こ・こ・ろ